江戸地図(赤坂周辺)

赤坂の歴史・由来

赤坂の地名の由来は、赤坂見附から四ッ谷へのぼる紀伊国坂に茜草が生えており、赤根山と呼ばれたことから赤根山にのぼる坂を赤坂と称するようになったという説が有力です。江戸時代以前の永禄10年(1567)に開拓が実施されるまでは山林や畑が多く、人家は数えるほどでした。徳川家康の江戸入城後は武家屋敷が大半を占め、町らしい町は元赤坂、赤坂1~3丁目あたりでした。慶長11年(1606年)浅野幸長により溜池が造られ、その周囲に茶店・岡場所ができ観光名所に発展していきます。紀州藩の中屋敷が現赤坂御所にあったことから、徳川吉宗公が8代将軍に就任すると赤坂全体の発展が進みます。取り分け産土神の氷川神社の祭礼「赤坂氷川祭」は江戸の三番手の祭りに位置付けられるものでした。時代は明治に移り、武家屋敷の多くは公家、華族や財閥の屋敷に変わっていきます。明治7年には赤坂9丁目に防衛庁が設置され、赤坂5~9丁目の街並みも大きく変わっていきます。昭和に入ると官公庁が近くにあることから料亭やキャバレーが建ち並び、最盛期には400名もの芸者が在籍するほどでした。しかしバブル崩壊後、料亭の多くは姿を消し、芸者の人数も比例して減少していきます。現在は高級住宅街として位置付けもあれば、赤坂駅前のTBSを中心に昼はオフィス街としての機能を持ち、夜は飲食街として活気を呈しています。時代の変遷とともに発展し、歴史・伝統と革新が融合する街「赤坂」、さまざまな色合いを持つこの街は、正しく「彩」を持った街なのです。